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東京高等裁判所 昭和50年(行タ)21号 決定 1975年12月22日

申立人 公正取引委員会

相手方 和光堂株式会社

主文

申立人が昭和四三年一〇月一一日なした審決(昭和四一年判第三号)につき、相手方がその執行を免れるため供託した保証金一〇〇万円の全部を没取する。

理由

申立人は、主文同旨の裁判を求めた。その理由とするところは別紙一保証金没取の申立書中理由の部分のとおりであり、これに対する相手方の反論は別紙二陳述書中第二の部分のとおりである。

申立人公正取引委員会が、昭和四三年一〇月一一日相手方和光堂株式会社に対し、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下独占禁止法という)第五四条第一項の規定により、違反行為の差止等を命ずる審決(昭和四一年判第三号)をしたこと、これに対し相手方が同年一二月一六日同法第六二条第一項の規定に基いて東京高等裁判所に右審決の執行免除の申立をし、同月二七日金一〇〇万円を供託することによつて右審決確定に至るまでその執行を免れることができる旨の決定を得、右金一〇〇万円を供託したこと、相手方が同年一一月九日同裁判所に右審決取消請求の訴を提起したが、昭和四六年七月一七日請求棄却の判決があり、さらにこれを不服として同月三〇日最高裁判所に上告したが、昭和五〇年七月一〇日上告棄却の判決があつて右審決が確定するに至つたこと、以上の事実は記録によつて明らかである。

ところで独占禁止法第六二条が、同法第五四条第一項の規定による公正取引委員会の審決があつた場合に、被審人は裁判所の定める保証金又は有価証券を供託して右審決が確定するまでその執行を免れることができるとしているのは、一方において右審決が命ずる被審人の違反行為を排除する措置はその性質上迅速に実現されることが公益上の要請というべきであり、右審決は同法第五八条の規定によつて審決書謄本が被審人に送達された時に執行力を生ずるものとされ、また被審人が右審決に違反するときは同法第九七条の規定によつて過料の制裁を科されることとなつているのであるが、他方において右審決が被審人からの取消請求訴訟の結果取消されることがあり、この場合には長時日経過後に審決が取消されてもすでに審決の内容に拘束されていた被審人にとつて原状を回復することは極めて困難であるか不可能であることが予想されるので、これを調整するために、裁判所の判断によつて被審人に保証金又は有価証券を供託させて審決確定までその執行を免れさせることができることとしたものであり、同時に前記のような公益上の要請からすれば、請求が理由がないのにこの執行免除を得させることは望ましくないので、同法第六三条の規定により、右審決の全部または一部が確定したときは、その確定された内容に応じて、右保証金又は有価証券の全部又は一部を没取することができることとして、安易な執行免除の申立を牽制しているものと解される。したがつて、執行免除の申立が悪用ないし乱用によることが明らかであれば、裁判所がその申立を認容すべきでないことは当然であるが、執行免除申立の段階で悪用ないし乱用であることが必ずしも明らかではなく、裁判所が申立を認容したからといつて、その判断は本案の判断を拘束せず、申立人の敗訴が確定した場合その申立が悪用ないし乱用でなかつたということはできず、また、右趣旨からすれば、悪用ないし乱用による申立の場合にのみ右供託にかかる保証金又は有価証券を没取すべきであるということもできない。裁判所が右執行の免除を認容して被審人に供託させるべき保証金又は有価証券の額を決定するには、前記のような法律の趣旨を勘案して判断するのであるから、審決取消請求訴訟において、被審人(原告)の主張がすべて裁判所に容れられずに審決が確定するに至つたときは、他に特段の事情がない限り公正取引委員会の申立により右保証金又は有価証券の全部を没取することが安易な申立を牽制するという法律の趣旨を貫く所以であり、被審人(原告)の主張の一部が裁判所に容れられて審決の一部が取消されたような場合は、事案により右保証金又は有価証券の一部のみを没取するのが相当であるとすることが考えられる。また被審人の自主的判断によつて審決の確定する以前に審決の命ずる排除措置の全部又は一部を事実上実行したとしても、なお審決の執行を免れることができる状態にあることに変りはないのであるから、これによつて、没取を免れることができるわけではない。この点において私法上の対立当事者間における保全処分ないし執行停止の場合とは同一に論ずることはできない。さらに相手方は同業の他社との権衡を云々するのであるが、審決取消請求の訴を判決言渡前に取下げて審決を確定させ、公正取引委員会においても供託した保証金没取の申立をせず、その取戻に同意した場合は、本件と事案を異にするというべきであり、また被審人に供託させるべき保証金の額を決定するに当つては、被審人の営業規模の大小も考慮すべき事項の一つといえるであろうが、ある程度以上の規模を有する被審人に対しては、同額の保証金を供託させかつ同額の没取をしたからといつて、権衡を失して不当であるということはできない。

よつて当裁判所は、申立人の申立を相当と認め、相手方の供託した保証金一〇〇万円の全部を没取することとして、主文のとおり決定する。

(裁判官 青木義人 浅沼武 江尻美雄一 小林信次 高木積夫)

別紙一

申立の趣旨

申立人が、昭和四三年一〇月一一日なした審決(昭和四一年(判)第三号)につき、相手方がその執行を免れるため供託した保証金(一〇〇万円)の全額を没取するとの裁判を求める。

理由

一、相手方は、申立人である公正取引委員会が、昭和四三年一〇月一一日に行つた昭和四一年(判)第三号審決を不服として、同四三年一一月九日、東京高等裁判所に対し、右審決取消の訴を提起するとともに、その執行を免れるため、同年一二月二七日、同裁判所の定める保証金として、金一〇〇万円を供託した。その後、昭和四六年七月一七日、東京高等裁判所から請求棄却の判決を受け、更にこれを不服として、最高裁判所に上告したが、昭和五〇年七月一〇日、同裁判所から上告棄却の判決を受けて、右審決は確定した。

二、ところで、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という。)第五八条は、公正取引委員会の審決は、被審人に審決書の謄本が到達した時に、その効力を生ずるものとし、同法第六二条第一項及び第九七条と対比すれば、審決は確定前においても執行力を有することとされているが、これはもつぱら公益的要請に基づくものである。

そして、右要請と被審人の違反行為の継続による利益との調和をはかるものとして、同法第六二条第一項は供託による執行免除の制度を設けているのである。したがつて、同法第六三条の規定に基づき、審決が確定した場合には、特段の事情がない限り、保証金の全部を没取することが制度の目的に合致する。

けだし、もし保証金を没取しないということになれば、審決取消訴訟の経過いかんにかかわらず、相手方は審決確定まで審決の執行を免れるという利益を受けるばかりか、保証金の返還をも受け得ることとなり、不当に利益を受ける結果となつて、安易な執行免除の申立てを防止する機能を果すこととならないからである。

本件の場合、審決取消訴訟における相手方の主張は、いずれも裁判所で認められず、結果として相手方は理由のない審決執行免除の申立てをしたと同じことになつたのであるから、保証金を返還すべきではない。

その他、本件について保証金の全部又は一部について返還を認めるべき特別の事情も見当らないので、その全部を没取すべきである。

三、相手方においても、本件執行免除を申し立てた際、その申立ての性質について、控訴の提起による執行停止に対比すべきものとし、執行免除による公益的要請の犠牲については、独占禁止法第六三条の規定により、民事罰として保証金を没取することによつて十分償われているものと考えられる旨主張しているのであり、右主張後段のうち、十分償われるかどうかはともかく、公益的要請の犠牲に対し、民事罰として保証金を没取し得る旨の相手方の見解については、申立人もまた同意見であつて、保証金の全額が没取されるのは当然の帰結と考える。

別紙二

陳述書

第一、申立の趣旨に対し

一、申立人の申立を却下する。

との裁判を求める。

第二、申立の理由に対してはつぎのとおり陳述する。

一、申立の理由第一項は認めるが、同第二項、第三項において申立人の主張するところについては、以下に述べる如く、これを認めがたいものといわざるを得ない。

二、1、申立人は、独占禁止法第六二条に規定された審決の執行免除の制度について、右制度は、審決が確定前においても執行力を有するものとされた由縁たる公益的要請と被審人の違反行為の継続による利益との調和をはかるためのものであり、したがつて、同法第六三条の規定にもとづき、審決が確定した場合には、特段の事情がない限り、保証金の全部を没取することが制度の目的に合致する、としたうえで、相手方の場合、右特段の事由は見当らないから、保証金の全部を没取すべきである、と主張している。

2、しかし、右執行免除制度は、右の如きものではないと思料される。

すなわち、審判手続はあくまで一行政委員会内部での手続でしかなく、審決は未だ司法審査を受けたものではない。そして、独占禁止法上、このような審決は確定前においても執行力を有することとされてはいるものの、それは日本国憲法下の法制度ないしは司法制度からすれば、あくまで例外中の例外として認められているものでしかない。審決が命ずるところは通常の行政処分と異なり、本来自由であるべき経済活動に対する制約、換言すれば、国民の自由に対する制限となる場合があるから、本来その終了、確定によつて執行力が付与されるべきである。万一司法審査を経て審決が取消された場合に、審決がすでに執行されていると、右司法審査は事実上無意味に帰することにならざるを得ない。そこで、このような未だ司法審査を経ておらず、その意味であくまで暫定的な判断でしかない審決が執行されることにより、被審人が蒙り得べき損害、しかも右の如く一般に比してその程度が甚大な損害と、前記公益的要請との調和をはかるために認められたのが審決の執行免除の制度と解されるのである。申立人は違反行為の継続による利益との調和のため、執行免除の制度を設けたというがそのような主張は当らない。

民事訴訟法第五一二条は、仮執行宣言付判決に対して控訴を提起した場合につき、立保証の点を除けば無条件で執行の停止を認めており、審決の執行免除の制度は、一応右控訴提起による執行停止制度に類似したものといいうる。しかし、控訴提起の場合は、既に第一審裁判所における司法審査を経ているものであるのに対し、審決の場合にはこのような司法審査を経ていないものであつて、その面で審決の場合の方がより暫定的な判断というべきものであるから確定的な司法判断がなされるまでその執行の停止または免除を認めるべき必要性は審決の場合の方がより大きいものといわざるを得ない。

勿論、そうだからといつて、審決の執行免除制度を悪用したり濫用したりすることは、右制度が例外的なものとしても、かかる例外的制度を認める由縁たる公益的要請から許されないので独占禁止法第六三条は、供託物の没取があり得ることを宣言し、(条文は没取を必要的なものとしてはいない)右悪用または濫用を警告しているのである。

また、執行免除の申立に対しては裁判所が事前にこれを審査しているのである。したがつて、執行免除の申立が、将来当該審決が取消される可能性もないのに、ただその執行の遅延を企てるものであるにすぎない場合のようにこれを悪用しまたは濫用するものであれば、裁判所はかかる申立を認めないはずである。これを逆にいえば、執行免除の申立が裁判所により認められたということは、右執行免除の申請人(本件では相手方)の場合には、このような悪用ないしは濫用が認められなかつたことを意味するものである。

3、ところで、相手方の提起した審決取消訴訟の経緯をみると、司法機関においても、相手方に独禁法違反行為があると即座に判断できるものでなかつたことは明白である。特に主張の当否のみを判断し何らの証拠調手続を行なわない上告審においてすら、昭和四六年より昭和五〇年の約四年間という長期間をその判断に要したことからすると、相手方の場合に独禁法違反行為が果してあつたのかなかつたのか事実認定においても、法律上の判断においても相当に微妙であつたことがうかがえるのである。そもそも審決の対象となつた行為は再販売価格維持の問題であつて、従前判例もなく、学説上も意見が分かれており、申立人の取扱においても当然に違法とされていなかつたのであるから、これについて裁判所の判断を求めるのは当然であり、憲法第三二条の権利の行使にほかならず、これに加えて、執行の免除を申立てたのであるから何らこの制度を悪用ないしは濫用するものでなかつたことは明白である。

勿論、最高裁判所が相手方の上告を棄却したことにより、結果的には審決が正当なものとされたわけであるが、そのこと自体は、審決執行免除の申立てが専ら同制度を悪用ないしは濫用するものではあつたかどうかの問題とは前述したところからして無関係なことは明らかであろう。

したがつて、相手方の提供している保証金が没取されるべきいわれは全くないものである。

三、さらに、審決で独占禁止法違反であるとされた相手方の販売諸施策のすべてが、右審決取消訴訟の係属中に、相手方の自主的判断により廃止されており、審決が執行されないことによる公益性の侵害もそれ程認められないのであり、この点からも、相手方の提供している保証金の没取は認められない。

すなわち、審決で問題とされたいわゆる登録制度は昭和四二年一月に行なわれた新製品発売に際して廃止され、またいわゆる感謝金制度および商品流通経路確認制度は昭和四八年六月の価格改訂の際にいずれも廃止されている。これは申立人も調査によつて熟知しているところである。

四、以上のほか、相手方の提供している保証金の没取を認めることは、他の同種の事案と著しく権衡を失することになり、いわゆる公平の原則にも反する不当なものとなる。

すなわち、申立人たる公正取引委員会は、昭和四三年、相手方の他、明治商事株式会社および森永乳業株式会社の他の育児用粉ミルクメーカー二社に対してもほぼ同一内容の審決を行なつている。そして、右二社も相手方と同様審決取消訴訟を提起し、かつ保証金を供託することにより審決の執行を免れていた。その後右二社のうち森永乳業株式会社は右取消訴訟を取下げたので、同社に対する審決は確定したのであるが、同社の提供していた保証金の没取は行なわれなかつたのである。また、申立人は違反行為の継続による利益との調和をいうが、これを正しいとすれば、明治商事の粉乳の売上は相手方の約八倍であるから、その利益に相応する八倍の保証金を積立てさせ、それに相応する金額の没取がなされねば公平を欠くという結果になることを指摘しておく。

以上、いずれの点からしても申立人の主張は不当であり、相手方の保証金の没取は認められるべきではない。

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